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大阪本格中華レストラン・大阪名物豚まんの蓬莱本館について

蓬莱の歴史

大阪難波の蓬莱本館の歴史 2005年、おかげさまで1945年の創業から60周年を迎えることができました。
誠にありがとうございます。
2005年を機に60年間の歩みをまとめました、 これからもご愛顧よろしくお願い申し上げます。

蓬莱発祥の地

大阪中華レストラン・蓬莱本館の出発点  「大阪はすごい!」蔡 水池(さい すいち)は神戸で偶然再会した同郷、台湾の幼なじみの二人に、自分が見てきた光景を、熱を帯びたまなざしで語りました。  なかでも彼の心を高鳴らせたのはミナミと呼ばれるエリア。  ここには、食料、物資、職を求め、まさに生きるために人々が押し寄せ、喧騒と開放的なエネルギーが渦巻いてました。 
 そう、この地こそが現在の「蓬莱本館」の原点となった場所。
友人たちもたちまち共感し、ナンバで共同の店「蓬莱食堂」をオープンしました。  屋号の「蓬莱」とは、中国では桃源郷を表す名、三人も、ここが未来の桃源郷となることを夢みていたのかもしれません。  オープンは、1945年10月15日。終戦の日からわずか二ヵ月目のことでした。  スタートは、カレー1皿10円、大盛況でした。
 お腹を空かせた人々で連日満席。 翌年には店舗も拡張し順調でした、 が、そんな商売にも陰りが。  それは人々はお腹を満たすだけでなく、もっと美味しいものを求め始めていたからでした。  もともと日本料理の道で働いていた蔡は、味の良さを追及する職人肌。  神戸で人気のあった豚饅頭にヒントを得、玉ねぎを入れ甘みを出した大きな豚饅頭を開発しました。  それを「豚まん」と友人が名づけ、売り出すことになったのです。
 豚まんは大ヒット
友人が社長として事業を拡大していく一方で、蔡は、職人としての夢を求め、やがて、それぞれ暖簾を分かつことになりました。  そして「蓬莱食堂」をオープンさせたこの地で「蓬莱中店」を始めました。  広東料理をベースにした本物志向の味にこだわりながらもリーズナブル。そんな庶民に嬉しい店作りをめざしていったのです。


恩人、前田米繁氏と、5階を工場にして

大阪中華レストラン・蓬莱本館の出発点  広東語が飛び交う活気いっぱいの厨房。 「蓬莱中店」は「蓬莱本館」となり、100人に近い、従業員を抱えていました。 蔡は、レストラン事業にとどまらず並行して卸にも着手。 真空パックを利用し、できたての味を追求した冷凍豚まんなどの開発に力を注いでいました。
 ところが、1970年3月2日、蔡は47歳の若さで急逝。 息子、進明(しんめい)は当時まだ大学生でした。 母の千代子が社長となりましたが、女手では大変でした。 そこで千代子の片腕として手伝ってくれたのが、蔡の板場の兄貴分でもあった前田米繁氏でした。
 前田氏は兄弟の盃を交わした親密な仲で、誰よりも信頼を寄せていた人。 前田氏自身、その頃は手広くビジネスを広げていた矢先だったのですが、実の弟と変わらぬ蔡の遺した店を、どうしても大事に成長させたいという想いがありました。 だからこそ、進明が経営できるまで十年間、会社をサポートするという形でやってきてくれたのです。進明は学生時代から厨房に入り、この前田氏の師弟にあたる料理長 陳 楚章(ちん そしょう)氏に、豚まんをはじめ中華料理を徹底的に教え込まれました。 また仕事以外にも、得意の釣りなどの手ほどきを受けたり、公私を超え「父親代わりでもあった」といいます。
 やがて、腕を磨いた進明は父、蔡の遺した卸の仕事、冷凍食品を、よりフレッシュに提供できるようにとチルドへ発展させ、当初は五階を工場とし、自ら現場に立ちました。父親譲りの職人気質が、その手腕を見せ始めたちょうどその頃、時代はバブルの波が押し寄せていました。


今もここで母子が守り抜く本物のおいしさ

大阪中華レストラン・蓬莱本館の出発点  チルド食品は、この頃業績を伸ばしていた多くの量販店から受注されるようになり、ピーク時には一日十万個というときもありました。 これまでのように五階の工場だけでは追いつかない状況でした。 そこで当時、専務となっていた進明は、大量ロットの生産に対応すべく、1986年に桜川工場を新設。 鹿児島、宮崎の大手ハムメーカーの豚肉に淡路産の玉ねぎ・・・と安全で品質の高い「蓬莱本館」の製品は、関西を中心に全国各地で販売されるようになりました。 さらに1991年には、今宮に七階建ての冷凍倉庫を設け、本格的な卸システムを確立しました。
 一方で、レストランの方でも約三十種のメニューから好きなものだけを好きなだけオーダーしていただき、テーブルまでできたてをサービスをするという、ひとり二千円の低価格な「オーダーバイキング」が、巧を成しました。
 進明はアイデアマン。 けれど「蓬莱本館]のスタイルは、進明が社長となった現在も父、蔡の時代からずっと、良質な素材と味をできたてで提供するという一貫したもの。 「自分の年齢の節目、節目で試みてきたことがうまく起動に乗ってきたのは、親父の牽いたレールがあったからこそ」と、伝統に頭を下げ、新たな感性で普及しています。 さらなる夢は、外国で暮らす日本人に、「卸」のルートを作り、豚まんをはじめ「蓬莱本館」の味を届けること。 それはまさに懐かしいふるさとの味となるはず。 そのためには新たな設備投資も必要と、意欲を膨らませています。
 そんな息子の姿を母、千代子は暖簾の奥で頼もしそうに見守っています。 創業当時と同じこの場所で、今もやさしく笑顔をたたえお客様を迎える姿は六十年前と少しも変わっていません。



蓬莱本館の年表

1945年 「蓬莱食堂」3名で創立 「そよ風」封切り
主題歌「りんごの唄」大ヒット
1947年 「株式会社 蓬莱」として会社登記 NKK連続放送劇
「鐘の鳴る丘」放送開始
1962年 火災により社屋焼失仮店舗で営業継続 ツイスト流行
「いつでも夢を」大ヒット
1964年 (株)蓬莱の創設者3人で、551蓬莱、蓬莱別館、そして蓬莱本館それぞれの会社に3分割 東海道新幹線開通
オリンピック東京大会開催
1970年 初代社長死去。後、千代子が社長へ就任 大阪で日本万博開催
三島由紀夫、自決事件
1982年 長男、東進明 取締役専務に就任。 テレビドラマ「おしん」ブーム
映画「E.T.」大ヒット
1985年 食品販売を主とする蓬莱本館販売㈱を設立 阪神タイガースが21年ぶりに優勝
1986年 桜川工場を新設 三原山大噴火
ダイアナ妃、来日フィーバー
1991年 今宮冷凍倉庫を新設 湾岸戦争勃発
バブル経済の崩壊
1994年 東千代子社長引退、専務、東進明が三代目社長に就任 大江健三郎、ノーベル文学賞受賞
料理の鉄人ブーム
2000年 「楽天市場」ベストヒットアイテム賞受賞 シドニーオリンピック開催

昔の蓬莱本館と心斎橋商店街 (数十年前)

大阪本格中華レストランの蓬莱本館の歴史

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